正しい親より、安心できる親でいたい|子どもに必要なのは完璧さより安心感

ニュージーランド メッセージ

正しい親より、安心できる親でいたい|子どもに必要なのは完璧さより安心感

 

子育てをしていると、「正しい親でいなければ」と自分を追い込んでしまうことがあります。

 

しっかり働くこと、家族を養うこと、何でも知っていること、弱音を見せないこと。父親として、親として、ちゃんとしていなければいけない。そんな思いが強くなるほど、かえって家庭の空気が固くなってしまうことがあります。

 

私もかつてはそうでした。正しい親になろうとするあまり、家族に安心を渡せなくなっていた時期があります。

 

でも今は、子どもに本当に必要なのは、完璧な親ではなく、安心できる親なのではないかと思っています。

 

この記事では、父の背中を見て育った私が、仕事の挫折や家庭での苦しさを通して、「正しい親より、安心できる親でいたい」と思うようになるまでを aiヘルプで書きます。

 

父親の役目は、家族を養うことだと思っていた

 

昔の私は、親とはこうあるべきだと思っていました。

 

しっかり働いて、家族を養うこと。 それがまず、父親としていちばん大事な役目だと思っていたのです。

 

そう思うようになったのは、たぶん自分の父親を見て育ったからだと思います。

 

父は、何でもできる人ではありませんでした。 いつも家にいたわけでもありません。 ですが、とにかくよく働いていて、あまり家にはいなかった印象のほうが強いです。

 

裕福な家庭だったわけではありません。 けれど、食べることに困った記憶はありませんでした。 朝昼晩、しっかりご飯を食べさせてもらっていました。

 

私はきょうだいの多い家で育ったので、食事の時間はいつも少し戦争のようでした。 それでも、ちゃんとお腹いっぱい食べられた。 今、自分が親になってみると、それがどれだけ大変なことだったのかがよくわかります。

 

育ち盛りの子どもは本当によく食べます。 食費だって、決して小さなものではありません。 それでも父も母も、そんなことを子どもに感じさせずに、当たり前のように毎日の食卓を支えてくれていました。

 

父の思い出として強く残っているのは、車のことです。 父は車が好きで、昔、何度か車の展示会に連れて行ってくれました。 あのときの景色や空気は、今でも不思議と記憶に残っています。

 

家にいる時間は決して長くなかったけれど、その限られた時間のなかで、父なりの愛情を見せてくれていたのだと思います。

 

だから私は、自分もそういう父親になりたいと思っていました。 派手なことができなくてもいい。 何でもできる人間じゃなくてもいい。 でも、しっかり働いて、家族を養う。 その土台だけは、自分も守れる親でいたいと思っていたのです。

 

完璧な親を目指す子育てが苦しくなった理由

 

ただ、私は父から受け取った「働いて家族を支える」という背中に、自分の中で別の理想まで勝手に積み上げてしまっていました。

 

親とは、何でも知っていて、何でもできて、いつも立派でいるべきものだと、どこかで思い込んでいたのです。

 

でも、親も人間です。 世の中のことを全部知っているわけではないし、何でもできるスーパーマンでもありません。 そんな当たり前のことに、私は親になってからやっと気づきました。

 

それでも当時の私は、その理想を手放せませんでした。 子どもたちの前では、普段の自分とは少し違う顔をしていたように思います。

 

友人といるときにはくだらない冗談も言うし、職場では少し気を抜いてふざけることもあります。 でも家にいるときの私は、どこか肩に力が入っていました。 何でも知っているふりをし、何でもできるふりをし、立派な親であろうとしていました。

 

子どもに何か聞かれたとき、本当はよくわからないのに、わかったような顔をして答えてしまったこともあったかもしれません。 「親なんだから、知らないでは済まされない」 そんな思い込みが、自分を必要以上に追い込んでいました。

 

その無理が、いちばん悪い形で出たのは、以前働いていた高級レストランの頃でした。

 

完璧さを求められる職場でした。 常に気を張り、張り詰めた空気の中で働いていた。 少しのミスも許されないような緊張感のなかで、自分の神経も少しずつすり減っていきました。

 

本当なら仕事の緊張は職場に置いて帰るべきでした。 でも、あの頃の私はそれができなかった。 店のピリピリした空気を、そのまま家庭に持ち込んでしまっていたのです。

 

休みの日でさえ、心が休まりませんでした。 子どもが何気なく話しかけてきても、その言葉を受け止める余裕がない。 実際に口に出していたかどうかは別として、「そんなこともわからないのか」という空気をまとっていたと思います。

 

子どもたちも、きっと感じていたはずです。 父親がいつも少し張っていて、近づくと何かが刺さりそうなことを。

 

今振り返ると、あの頃の私は、正しい親になろうとして、安心できない親になっていました。

 

子育てに余裕がないと、家族に優しくできなくなる

 

ちゃんとしなきゃいけない。 親なんだから、弱いところを見せちゃいけない。 しっかりしなきゃ、完璧にこなさなきゃ。

 

そんな思いが強すぎて、自分の心をどんどん追い込んでいました。 心に余裕がないから、他人に優しくできない。 家族に優しくしたいのに、優しくできない。 それはとても苦しかったです。

 

あの時の自分を思い返すと、よく「バケツ」のようだったと思います。 もう水がいっぱいに入っていて、表面張力でかろうじて持っている状態。 そこへ仕事や責任や感情が、次から次へと注がれていく。 あとほんの少し何かが加われば、あふれてしまう。 しかも、その入れ物はとても繊細で、一度壊れたら元に戻らないかもしれない。そんな危うさがありました。

 

実際には、まだ少しは頑張れたのかもしれません。 でも、限界の一歩手前で立ち止まれたことが、今となっては本当に大きかったと思います。 あのまま無理を続けていたら、仕事だけじゃなく、家庭まで壊していたかもしれません。

 

妻の沈黙が、家庭の危機を教えてくれた

 

その危うさに気づかせてくれたのは、妻の「沈黙」だったのかもしれません。

 

妻は何も言いませんでした。 責めることもしませんでした。 でも今思えば、それこそがサインだったのだと思います。

 

当時、我が家にはまだ小さな子どもが三人いました。 上の子も小さく、下の子は生まれたばかりでした。 しかも上の子には重いアレルギーもあって、妻の負担は相当なものだったはずです。

 

本来なら、しんどいのは私だけではありません。 むしろ家庭を守る妻にも、言いたいことやつらさが山ほどあったと思います。 それでも彼女は、自分の苦労をあまり口にしませんでした。

 

それは、私に余裕がないことを感じ取っていたからだと思います。 仕事で疲れ果てて帰ってくる私に、これ以上何かを背負わせられない。 そんな空気を、きっと彼女は読んでいました。

 

以前の私たちは、もっとよく話していました。 朝起きたときも、夜帰ってきたときも、「今日どうだった?」と自然に言い合える夫婦でした。 小さな出来事を話し、くだらないことでも笑い合えていました。

 

でもあの頃は、それがなかった。 相手の一日を聞く余裕すら、私にはなかったのです。

 

そのことに気づいたとき、はっきり思いました。 このままではまずい。 このまま走り続けたら、我が家は壊れるかもしれない、と。

 

わからないことは、一緒に調べる親でいい

 

そこから私は、少しずつ考え方を変えるようになりました。

 

親は、完璧じゃなくていいんじゃないか。 何でも知っていなくてもいいんじゃないか。 わからないことがあったら、「パパもわからない。一緒に調べよう」でいいんじゃないか。

 

そう思えるようになってから、肩から重たい荷物がするりと落ちたような気がしました。

 

子どもに何か聞かれたとき、昔の私は無理に答えようとしていました。 でも途中からは、一緒に辞書を引いたり、図書館で調べたりするようになりました。 最近ならネットも使うけれど、我が家ではなるべくオールドスクールなやり方も大事にしてきました。 時間はかかる。でも、そのほうが記憶に残ることもあります。 何より、「知らないことを一緒に知っていく」という時間そのものが、親子の財産になった気がしています。

 

30/70の法則が、子育ての余裕をつくってくれた

 

そして私は、自分の中で一つの考え方にたどり着きました。

 

100%の力でずっと走り続けるのではなく、30%くらいの力で構えて、残りの70%を余白として持っておく。 仕事でも、子育てでも、全部を全力でやりきろうとしない。 その代わり、本当に大事なとき、誰かが助けを必要とするとき、家族がこちらを見たときに、その余力を使えるようにしておく。

 

これは怠けるということではありません。 むしろ、長く大切なものを守るための、生き方の設計だと思っています。

 

子どもにとって本当にいい親とは、安心できる親

 

今の私は、「いい親」の定義も昔とはずいぶん変わりました。

 

昔は、家族を養い、何でも知っていて、ちゃんとしている親がいい親だと思っていました。 でも今は、そこにいてくれる親、安心できる親こそが、いい親なのではないかと思っています。

 

子どもにとって家は、世界で最初の居場所です。 外でうまくいかない日があっても、失敗した日があっても、疲れた日があっても、帰ればほっとできる。 そんな場所であってほしいと思います。

 

私は幸運なことに、今も両親が健在です。 大人になった今でも、どこかで「自分には帰れる場所がある」と思えています。 それは目に見えないけれど、とても大きな安心感です。 だからこそ、自分の子どもたちにも、同じような感覚を渡したいと思っています。

 

もちろん、親として伝えたいことはたくさんあります。 礼儀や挨拶、感謝や謝罪。 「おはよう」「ありがとう」「ごめんね」がちゃんと言えること。 そういう当たり前のことを、当たり前にできる人であってほしいと思っています。

 

でもそれも、頭ごなしに教え込むというより、日々の食卓や何気ない会話のなかで、少しずつ伝えていくものなのだと思います。 家庭の中で自然に学べることは、意外と多いものです。

 

子どもは、親の言葉より家庭の空気を見ている

 

そしてもう一つ大事にしているのは、頑張る姿だけでなく、楽しんで生きる姿を見せることです。

 

私は休みの日に、アイアンマンやマラソンのトレーニングをすることがあります。 それを子どもたちは見てきました。 もしかしたら、そういう背中が、少しは何かを伝えているのかもしれません。 実際、子どもたちも自分から勉強したり、体を動かしたりしています。 親が「頑張れ」と言ったからではなく、親が自分の人生をちゃんと楽しみながら向き合っている姿を見て、何かを感じ取ってくれているのかもしれません。

 

子どもは、親の言葉以上に、親の空気を見ています。 正論をどれだけ並べたかより、家の中にどんな温度が流れていたかを、きっと覚えているのだと思います。

 

だから私は、子どもの話をなるべく最後まで聞くようにしています。 どんなにたわいもない話でも、その子の言葉で、その子のリズムで話させてあげたいと思っています。

 

先日も、離れて暮らす娘たちとビデオチャットをしました。 テストを終えた次女は、いつもよりずっと饒舌で、週末のことや撮った写真を楽しそうに話してくれました。 一方で長女は、課題やレポートに追われていて、明らかに余裕がありませんでした。 声のトーンや言葉の間に、その状態がにじんでいました。

 

そんなとき、親はつい、正しいことを言いたくなります。 ちゃんとやりなさい。 早めに動きなさい。 あとで困るよ。 どれも正論です。

 

でも、正論がそのまま相手を助けるとは限りません。

 

だから私は、なるべく彼女の言葉を遮らず、彼女自身の感覚が戻ってくるような質問をしました。 最近行った場所のこと。 その日の空気のこと。 楽しかったこと。 少しでも、勉強以外の言葉を話せる隙間をつくりたかったのです。

 

そういう時間をつくれるのは、自分の心に少し余白があるからだと思います。 余裕があるからこそ、相手の空気が読める。 余裕があるからこそ、正論ではなく、寄り添い方を選べるのだと思います。

 

幸せな親でいることが、子どもの安心感につながる理由

 

幸せな親でいることが大事なのは、きっとそのためです。

 

親がいつも完璧である必要はありません。 でも、親が不幸せで、心をすり減らし、家庭にそのまま毒を持ち込んでしまえば、子どもはそれを敏感に感じ取ります。 いちばん身近な大人が苦しそうに生きていたら、子どもは「生きることって、しんどいものなんだ」と思ってしまうかもしれません。

 

逆に、親が自分の人生を引き受けながら、ちゃんと笑っている。 疲れる日があっても、また戻ってこられる。 そんな姿を見せられたら、子どもは「人生は大変でも、悪いものじゃない」と思えるかもしれません。

 

家を安全基地にすること。 それは、親としてとても大きな仕事だと思います。 そしてもし、子どもがいつか大人になり、自分も親になったときに、同じようにその安心を次の世代へ渡してくれたなら、それは本当にうれしいことです。

 

私は今でも揺れます。 子どもが壁にぶつかったとき、すぐそばにいてやれない苦しさもあります。 代わりに背負ってやりたくなる夜もあります。 でも、そこで親の不安をそのままぶつけるのではなく、子どもの力を信じて待つことも、愛情の一つなのだと思っています。

 

まとめ|子どもは正しい親より安心できる親のもとで育つ

 

子育てで大切なのは、正しいことを言い続けることではなく、子どもが安心して戻ってこられる空気をつくることだと私は思います。

 

完璧な親を目指して苦しくなっているなら、少し力を抜いてみてもいい。 余白のある親のほうが、きっと子どもを深く支えられるはずです。

 

昔の私は、正しい親になろうとしていました。 何でも知っていて、何でもできて、いつも立派でいようとしていました。

 

でも今は、そうは思いません。

 

子どもに必要なのは、完璧な親じゃない。 疲れた日にも、迷った日にも、傷ついた日にも、 「あそこに帰れば大丈夫」と思える場所です。

 

何でもできなくていい。 何でも知っていなくていい。 立派じゃなくてもいい。

 

せめて、帰ると少しほっとする親でいたい。

 

子どもは、正しい親より、安心できる親のもとで育つ。

 

よくある悩み:親が安心感を与えるためにできること

 

子育てで余裕がないときはどうすればいいですか?

 

まずは自分を100%で回し続けないことが大切です。すべてを完璧にやろうとすると、家族に向ける余裕がなくなります。30/70の法則のように、少し余白を残して生活することで、子どもにもやさしく接しやすくなります。

 

いい親とは、どんな親ですか?

 

私が思ういい親とは、何でもできる親ではなく、子どもが安心できる親です。失敗した日やつらい日でも、「家に帰れば大丈夫」と思える存在であることが、子どもにとって大きな支えになります。

 

子どもに何を教えるべきか迷ったらどうすればいいですか?

 

全部を教えようとしなくて大丈夫です。わからないことは一緒に調べればいい。礼儀や感謝のような大切なことは、日々の会話や食卓のなかで自然に伝えていくほうが、子どもの心に残りやすいと感じています。

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