夕日の中で涙した日から——ニュージーランドで3人の娘を育てて学んだこと

japanese-family-sunset-newzealand-parenting.jpg ニュージーランド 子育て

このブログを始めた理由

はじめに

こんにちは。3人の娘を育てるニュージーランド在住の父親です。 このブログはaiヘルプで、私たち夫婦が経験した子育ての喜びと困難、そして何十倍もの幸せについての記録です。これから家族を築く若いカップルや、今まさに育児の真っ最中の親御さんに向けて、私たちの経験がほんの少しでもお役に立てば幸いです。

3人の娘たちとの出会い(2004年〜2008年)

長女誕生——2004年5月

私たちの子育て人生は、2004年5月に始まりました。帝王切開での出産でしたが、妻のお母さんと妹さんが日本から駆けつけてくださり、出産直後から頼れる存在がいてくれたことで、心強さを感じていました。当時、私たちはニュージーランドに住んでいましたが、こうした家族のサポートなしには、その後の困難な日々は乗り越えられなかったと思います。

予期しなかった試練——アレルギーの発症

しかし、出生後わずか1ヵ月後、長女の体に赤い湿疹が現れ始めました。 妻と私は心配になり、医師に相談しました。アレルギーテストを望みましたが、生まれたばかりの赤ちゃんには検査ができず、生後6ヵ月を待つしかありませんでした。その日まで、私たちは長女の肌の変化を毎日見守りながら、不安な気持ちを抱え続けていました。

検査結果が示した現実

生後6ヵ月。ついにアレルギーテストが実施されました。 結果は、私たちの想像をはるかに超えていました。20項目近いアレルギー反応が出ていたのです。 卵、乳製品、小麦、ナッツ、そして多くの野菜——ほぼすべての一般的な食品に反応していました。その結果を知った時、妻と私は病院の前で涙がこぼれました。
「赤ちゃんに何を食べさせればいいの?」
妻のその言葉が忘れられません。夕方の薄暗い中で、私たちは途方に暮れていました。その時の夕日に照らされた景色は、今でも脳裏に焼き付いています——私たちの心の絶望とは正反対の、静かで美しい情景が。

長女のアレルギーとの向き合い方

母乳と制限食——妻の献身

帝王切開だったことで、妻の母乳の出は思わしくありませんでした。しかし、妻は必死に搾り出そうと頑張りました。そして知ったのは、母乳で育てる場合、母親が食べたものがそのまま赤ちゃんに影響するということでした。 妻の食事は、まさに「ウサギのような食生活」へと変わります。 にんじんなど限られた野菜のみ、味付けはほぼ無し。塩さえも最小限。こんな状態が何年も続きました。当時、妻はまだ20代の若い女性でしたが、自分の子どもを守るため、こうした厳しい制限を受け入れてくれました。 妻の無償の愛があったから、長女は最初の困難な時期を乗り越えることができたのです。

粉ミルクとの闘い

長女が飲める粉ミルクを探すことも大きな課題でした。当時住んでいたニュージーランドでは、アレルギー対応の粉ミルクが簡単に手に入りません。そこで、わざわざ日本から乳製品不使用のミルクを輸入していました。 当地の粉ミルクも試しましたが、アレルギー反応が出てしまい、結局は日本製のものに変更。毎月、家族や友人に頼んで荷物を送ってもらう——そんな日々が続きました。

見えない苦しみ——痒みとの2年間

長女の肌は、生まれから2歳半までの間、絶えず痒みに苦しんでいました。 体中に湿疹が出ていたため、私たちは夏でも長袖、長ズボン、手袋、靴下で彼女を覆い、外出時の日焼けや刺激から守ろうとしていました。今考えると、その対応が本当に良かったのかはわかりません。しかし、当時は子どもの肌を守ることで精一杯でした。 外食もほぼできません。ニュージーランドのほとんどの食事に乳製品やナッツが含まれているからです。家でも、常に食材の確認が必要でした。 そして、最も辛かったのは、長女が絶えず体を掻いている姿を見ることでした。 お風呂の中でもガリガリと。お風呂から出た後も、モイスチャークリームを塗っている最中も、掻き続けていました。自分の子どもが苦しんでいるのに、親として何もしてあげられない——その無力感は、今でも心に残っています。

大切さの向こう側にある喜び

転機——皮膚科医との出会い

長女が2歳を過ぎた頃、2006年10月に次女が誕生しました。 その直後、子どもの皮膚の専門医に診てもらう機会がありました。医師に長女のアレルギーの歴史、写真、検査結果を見せました。医師は強めのステロイド薬を処方してくれました。 使用してからわずか1日で、長女の痒みがピタリと止まったのです

2歳半で見た奇跡

その日を境に、長女は驚くほど変わりました。 それまで自分の体の苦しみに全てのエネルギーを使っていたこの子が、突然、無邪気で元気な女の子へと生まれ変わったのです。 家の中を飛び跳ね、走り回り、庭で思い切り遊ぶようになりました。私たち夫婦は顔を見つめ合い、こう言い合ったことを覚えています:
「子どもって本当にすごい。こうやって外で元気に走り回るのが、本当の子どもの姿なんだ」
長女は生まれてから2歳半まで、自分の痛みと戦うために全ての精神力を使っていました。その苦しみから解放されたとき、彼女が見せてくれた喜びと元気は、何にも代え難いものでした

「失った時間を取り戻そう」という約束

私たち親は、長女に心の中で誓いました:
「これからは、いくらでも思い切り遊んでいいんだよ。思い切り飛び跳ねていいんだよ」
そして、それは私たちの子育てのスタイルを大きく変えました。 長女が「遊ぼう」と誘ってくるとき、私は決して断りませんでした。なぜなら、子どもの頃、親に何度も誘いを断られた私自身の経験があったから。そして何より、この子はこの数年間、親として何もしてあげられなかったからです。 公園での遊び、ごっこ遊び、散歩——どんな誘いにも、私たちは応じました。

次女・三女との違い

興味深いことに、次女は長女ほど深刻なアレルギーを持たずに誕生しました。生後、同じ専門医に診てもらい、軽い湿疹は薬で改善されました。 この子は、初日からよく眠り、親の手がかからない子でした。妻も「これなら育児も楽」と言っていたほどです。 そして2008年、三女も誕生しました。この子も次女と同じく、非常に育てやすい子でした。陣痛が始まってから約1時間で生まれてきたほどです。

子育てから学んだこと

最初の困難があったから

面白いことに、妻と私は、後に生まれた次女、三女に対しても「大変だ」と感じることがありません。理由は単純です:
「最初に長女で大変な思いをしたから、何があってもできる」
長女との経験が、私たちを強くしてくれていたのです。どんな困難も、「これは長女の時に比べたら……」と考えると、乗り越えられました。

親として何を学んだか

この経験から、私たちが学んだことは多くあります:
  • 夫婦で一緒に困難に立ち向かうことの大切さ
  • 完璧を目指さず、できることを精一杯やること
  • 子どもの声に耳を傾け、その誘いを受け入れること
  • 親としての無力感とも向き合う必要があること
  • 困難の向こう側にある喜びの大きさ
そして何より、子育ての喜びは、苦しみの大きさに比例するのだということです。

このブログを書く決意

「子育ては大変だけど、最高に幸せ」

子育ては、本当に大変な仕事です。睡眠不足になり、精神的に追い詰められることもあります。親としての無力感を感じることもあります。 しかし同時に、これ以上に喜び、幸せ、達成感をくれるものはありません。 3人の娘たちから、私たちは本当に多くを学びました。困難の中で、親として、一人の人間として成長させてもらいました。

子どもを望む全ての人へ

世の中には、子どもを心から望みながら、様々な事情でその願いが叶わないカップルも多くいます。私たちは、幸いにも3人の素晴らしい娘に恵まれました。それは本当に幸運なことだと思っています。 だからこそ、その幸運に感謝しながら、私たちの経験が誰かの役に立つかもしれない——そう思い、このブログを始めることにしました。

これからの子育てを頑張るあなたへ

もしあなたが今、子育ての困難の真っ最中なら、知ってください:その困難の向こう側には、想像以上の喜びが待っています。 もしあなたが、これから子育てを始めようとしているなら、知ってください:完璧な親になる必要はありません。ただ、子どもの声に耳を傾け、一緒に成長していく——それで充分です。 このブログが、そうしたあなたの背中を、ほんの少しでも押してくれることを願っています。

まとめ

2004年から2008年にかけて、ニュージーランドで3人の娘を育て始めた私たち夫婦。長女のアレルギーという大きな困難から始まった子育ての経験は、私たちを親として、一人の人間として大きく成長させてくれました。 その経験を、ここに記します。 もし質問や困ったことがあれば何でもコメント欄に載せてくださいね。 私たちがしてきた経験を皆様にシェアしたいと思います、子育て本当に楽しくて素晴らしい仕事だと思っているので一緒に頑張りましょうね。  

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