子育ては終わるのではなく、形を変えて続いていく|父親として今思うこと

ニュージーランド 子育て
子育ては終わるのではなく、手をかける時期から心をかける時期へと形を変えて続いていく。

子育ては終わるのではなく、形を変えて続いていく|父親として今思うこと

子育てって、いつ終わるんでしょうか。

子どもが大きくなって、学校を卒業して、家を出ていけば、もう子育ては終わり。そんなふうに考える人もいるかもしれません。

でも私は、子育ては終わるものではなくて、形を変えながら続いていくものなんじゃないかなと思っています。

今の私は50代ですが、そんなふうに思うのは、たぶん自分自身が今でも両親の存在に支えられていると感じるからです。

ありがたいことに、私の父も母もまだ健在です。父は90を超えていて、いろいろなところにガタがきています。母も施設に入っていて、昔のような元気な姿のままではありません。

それでも、ただこの地球上に父と母がいてくれる。それだけで、自分の心のどこかが支えられている気がするんです。

育ててもらっている、という感覚ではありません。でも、心とか精神とか、そういう見えない部分では、今でも支えてもらっているんだろうなと思います。

だからこそ、自分の娘たちにとっても、そんな父親でいたいと思うんです。何でもしてあげる父親じゃなくてもいい。でも、人生のどこかで「ああ、パパとママがいる」と思えるような、そんな存在でいたいと思っています。

手をかける子育ての時期

子どもたちが小さい頃の子育ては、もっと分かりやすいものでした。

学校の送り迎えをしたり、クラブ活動の送り迎えをしたり、風邪をひいたら病院へ連れて行ったり。生活の中で、手をかけることがたくさんありました。

それと同時に、礼儀や挨拶のような、当たり前のことも大事にしてきたつもりです。

  • 人に何かしてもらったら「ありがとう」と言うこと
  • 朝、学校で会ったら「おはよう」「こんにちは」と気持ちよく挨拶すること
  • 帰る時には「またね」「また明日ね」と、きちんと相手に気持ちを返すこと
  • 失礼なことをしてしまったら、「ごめんなさい」「失礼しました」「大丈夫ですか」と素直に謝ること

特別なことではないかもしれません。でも私は、そういう当たり前のことを大事にできる人間になってほしいと思ってきました。

正直に言うと、私はあまり言葉で説明するのが上手な方ではありません。だから、細かく口うるさく言うような父親ではなかったと思います。

でも逆に、それがよかったのかもしれません。普段あまりしのごの言わないパパが、本気で怒ると、娘たちにはそれなりに伝わったみたいです。後から妻と娘たちが話しているのを聞いて、そんなふうに感じたこともありました。

もちろん、親としてそれが全部正しかったのかは分かりません。でも、その時その時で娘たちのことを思って向き合ってきたつもりです。それって、特別なことではなくて、親として普通のことなんじゃないかなと私は思っています。

父の姿に教えられたこと

そんなふうに子育てをしてきましたが、子どもたちが大きくなってくると、子育ての形は少しずつ変わっていきます。

そのことを強く感じるのは、自分の父の姿を見た時です。

父は若い頃、本当によく働いていました。365日、毎日働いていたような気がします。さすがにお正月とお盆の数日くらいは休んでいたと思いますが、それ以外はほとんど仕事でした。

当時の私はまだ若くて、それが当たり前のように思っていました。友だちが「お父さんに遊びに連れて行ってもらった」とか、「休みの日にキャッチボールしてもらった」とか話しているのを聞くと、正直うらやましく感じたこともあります。うちの父は仕事が忙しいから、そういうものなんだろうなと思っていました。

でも父は、岩のようにごつくて、手も大きくて、足も太くて、本当に力強い男でした。兄と二人で父の両腕にぶら下がって、「パパすごい、力持ち」とはしゃいだことも覚えています。

そんな父の姿が、今回一時帰国した時、お風呂上がりにタオルを腰に巻いただけの姿を見て、私は愕然としました。

あんなにがっしりしていた父が、今は骨と皮だけのように細く見えたんです。もともと色白なこともあって、なおさらそう感じたのかもしれません。もし今、昔みたいに腕にぶら下がったら、ぽきっと折れてしまうんじゃないかと思うくらいでした。

その姿を見た時、とても寂しかったです。でも同時に、こんなになるまで体を酷使して、私たち子どもを養ってくれたんだなと、ありがたさも込み上げてきました。

そして思いました。こんなふうにまで頑張ってくれた父のように、自分も家族を支えていきたい。でも同時に、自分の娘たちにはあまり心配をかけたくない。できる範囲でアクティブに動いて、まだまだ大丈夫だと思ってもらえるような父親でいたいな、と。

母の存在が今も心の支えになる

母のところへ施設に会いに行く時も、いろいろ考えます。

少し認知症も進んできていますが、さすがに私のことは分かってくれます。会いに行くたびに、小さい頃の話をしたり、「今度はいつ来るんだ」「今度はいつ孫を連れてきてくれるんだ」と聞いてきたりします。

そうそう簡単に孫たちを連れていけるわけではありません。でも、もしかしたらそれが今の母への一番の親孝行なのかもしれない、とも思います。

孫たちが立派に成長して、それぞれの人生を一生懸命生きていることを見せてあげる。ああ、こんなに素敵な女性たちに育ってくれたんだなと、母に感じてもらう。それも親孝行の一つなのかもしれません。

いつも面会の時間は短いのですが、施設を出る時は、いつも後ろ髪を引かれるような気持ちになります。でも同時に、次に会う時には何か一つでも新しい報告ができるようにしたい、母が「この子たちを産んでよかった」と思えるように、自分も頑張ろう、と襟を正すような気持ちにもなります。

そう考えると、私は今でもやっぱり親に支えられているんだと思います。そしてだからこそ、自分の子どもたちにも、そんなふうに寄り添える親でいたいと思うのです。

手をかける子育てから、心をかける子育てへ

今の子育ては、以前とは少し形が違います。その一つが、大学生活への支えです。

私たちは裕福な家庭ではありません。でも、できる限りのサポートはしたいと思っています。

子どもたちにもよく言っています。「あなたたちはまだ学生だよ。学生の仕事は勉強することだよ」と。お金をもらう仕事ではなくても、今は学ぶことが役目なんだ。だからその間は、パパとママの傘の下にいる子どもなんだから、できることは援助してあげるから気にしなくていいんだよ、と伝えています。

ただ、そんなふうに言っているからなのか、子どもたちは子どもたちで、すごくお金のことを気にしてくれているようにも感じます。なるべくお金のかからない生活をしようとしてくれているのが伝わってきます。

特に次女は医療系の大学に進んでいるので、学費も高いですし、必要なものもいろいろあります。ある時、自分の名前入りの聴診器を、自分で働いたお金で買ったことがありました。

私と妻は驚きました。「何やってるんだよ、あなたは学生なんだから、そういうものはパパとママが買ってあげるんだよ」と言いました。「いくらだったの」と聞いても、娘はかたくなに言いません。「大丈夫、大丈夫。私が使うものなんだから、私が払うから」と言って聞きませんでした。

でも、だいたいの値段は調べれば分かります。見てみると、やっぱり結構な値段でした。だから私たちは、その分のお金を娘の口座に振り込みました。

それを知った娘は、思っていた以上に長い時間、涙を流しました。少し泣くのかな、くらいには思っていたのですが、そんなものではありませんでした。普段、あまり感情を大きく出すタイプではない子なので、なおさら胸にきました。

私も、つい一緒にもらい泣きをしてしまいました。50を超えた男が情けないなとも思いましたが、あの時は、娘の心の動きがそのまま伝わってきたような気がしたんです。

私は娘を抱いて、こう伝えました。

大丈夫だよ。

そんなに気を遣わなくていいんだよ。

あなたは向こうで一人で頑張ってるんだから、そんなことに心を使わなくていい。

そういうことはパパとママにさせてくれたらいいんだよ。

まだパパとママは元気なんだから。

これからあなたは、お医者さんになって、世界中の困っている人たちを助けてあげなさい。

それがパパとママにとって一番うれしいことなんだから。

パパたちができないことを、あなたがしてくれたら、それが一番幸せなんだよ。

だから気にしないで、この聴診器を大事に使ってね。

また大学で頑張ってきな。

パパとママは応援してるから。

あの時間は、私にとってとても忘れられない時間になりました。

親はまだ支えたい。でも子どもは、自分の足で立とうとしている。その間で、お互いが相手を思っている。私はあの時、子育ての形が変わっていく瞬間を見たような気がしました。

小さい頃のように、手を引いてあげることはもうできません。でも、心をかけてあげることはできる。むしろ、これからの子育ては、そちらの方が大切になっていくのかもしれません。

子育ては一生のライフワーク

これから先、子どもたちはさらに大人になっていくでしょう。社会に出て、自分の仕事を持って、もしかしたらやがて家庭を築く日も来るかもしれません。

その時に私がしてあげられることは、昔のように前に立って何かをしてあげることではなく、必要な時に少し支えたり、話を聞いたり、帰ってこられる場所でいたりすることなのかなと思っています。

子育ては、たしかに少しずつ手が離れていきます。それは寂しいことでもあります。でもそれは、子どもが成長した証でもあるんでしょうね。

寂しい反面、うれしい。うれしい反面、ちょっと寂しい。親になるというのは、ずっとそういう気持ちの繰り返しなのかもしれません。 わがままですよね。

それでも私は思います。子育ては終わるのではなく、形を変えて続いていくのだと。

手をかける子育てから、心をかける子育てへ。そしていつか、自分の両親が今の私にとってそうであるように、ただそこにいてくれるだけで心の支えになるような父親になれたらと思っています。

父親であることは、私にとってたぶん一生のライフワークです。私という人間が終わる時まで、子育ては続いていく。私はそんなふうに思っています。

あなたはどうでしょうか。子育ては、いつ終わると思いますか。そしてこれからは、どんな形で子どもに心をかけていきたいと思いますか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました