「パパ、湖が見えるよ!」高級ロッジのシェフがボロ屋生活の果てに掴んだ「家族の城」

ニュージーランド 仕事

2012年、タウポ。ついに手に入れた今の家の鍵を開けた瞬間、私は広々としたタイルのキッチンを見て、思わずスライディングしてぐるっと回りました。

 

「何やってんの、あんた……」

 

冷ややかな目で見る妻。でも、その手にはしっかりと、私のバカげた喜びの姿を収めたデジカメが握られていました。

その時、前のオーナー家族が残してくれた一枚のメモを見つけました。
「私たちがそうしたように、あなたたちもこの家で素晴らしい思い出を作ってくれることを願っています」

それを読んだ瞬間、これまでの2000年からの苦労が走馬灯のように駆け巡り、目頭が熱くなりました。これは、ひもじい思いをしながらも、夫婦で手を合わせて夢を見続けた「勝利の記録」だったからです。

1. インスタントコーヒーと「クソ度胸」の家づくり

2000年にニュージーランドへ来てから数年。私たちはクライストチャーチの安くてボロいフラットに住んでいました。休日にカフェでお茶を楽しむ他の夫婦を横目に、私たちはインスタントコーヒーを持って湖畔へピクニックに行きました。でも、そのコーヒーはどんな高級カフェよりも100倍おいしかった。なぜなら、私たちは「家を買う」という同じ山頂を目指す戦友だったからです。

「まだ何も分かってないのに銀行なんて!」と尻込みする妻を、私は持ち前の「クソ度胸」で住宅ローンの相談へ連れて行きました。
「俺の給料だけで返せるローンを組んでくれ。妻の分はボーナスだと思いたい」
そう伝えて数字がはっきりした時、霧が晴れました。2004年、長女が生まれる直前、私たちはボロボロだけど愛おしい「最初の城(3ベッドルーム)」を手に入れました。

2. 自力で勝ち取った「完済」と、最大の転機

その古い家で、長女、次女、三女が育ちました。庭で長女が自転車の練習をする姿を眺めながら、私は誓いました。親の助けを一切借りず、自分たちの力だけでここを自分たちのものにする、と。

そして4年後、私たちはローンを完済。そのまま2軒目の4ベッドルームへ住み替えました。しかし、運命はそこから動き出します。その綺麗な家に住んでわずか3ヶ月。タウポの高級ロッジからヘッドハンティングのオファーが届いたのです。

3. 40歳直前の決断――「これは人生最後のチャンスよ」

正直、私は迷っていました。移住して10年、40歳を前にしてまた1からスタートする。今の安定を捨てていいのか。
「俺、無理かもしれない」
弱気になる私に、妻は言いました。

「これは人生最後のチャンスかもしれないわよ。ここで働けば、あなたの履歴書は光り輝くはず。挑戦してみるべきよ」

妻のこの一言が、私たちの運命を劇的に変えました。私は単身タウポへ。家族を呼び寄せて住んだのは、またしてもボロいアパートでした。生木で火がつかない暖炉、極寒の部屋で泣き出す妻……。私はまた彼女を不甲斐ない思いで泣かせてしまいました。

4. ミシュラン級の星と、5年間の挑戦

それから、私はその高級ロッジで5年間働きました。職場にはミシュランスターを獲得した一流シェフたちが集まり、私は世界レベルの技術と知識を吸収し、日々自分がレベルアップしていく実感がありました。まさに「鉄人」への修行期間でした。

しかし、当時の家は「タコ部屋」のような狭い部屋。次女の友達に「赤ちゃん用のベッドで寝てるの?」と驚かれるほどでしたが、私はその不便さが嫌いではありませんでした。家族の距離が一番近かったあの時間は、今思えばとても贅沢な修行期間だったのです。

結び:14年経っても変わらない「幸せの身の丈」

2012年。あの日決めた「娘たちへの個室」。
長女は元気だから、地震でも窓から逃げられるように階段から遠い部屋。次女はまだ小さいから階段の近く。三女は両親の部屋の近く……。
そんな理由を説明し、納得して自分の部屋へ走り込んでいった娘たちの無邪気な笑顔。

「パパ見て、湖が見えるよ!」

あの声を聞けた時、私は「お金を払ってでもこの仕事(父親)をしたい」と心の底から思いました。あれから14年。今も私たちはこのタウポの街に住み続けています。大学から帰省してきた娘たちは、当然のように自分の部屋に泊まります。

私たちは今も、たまにピクニックに行きます。どんなに高級なロッジで腕を磨いても、私の幸せの原点は、あのボロ家で啜ったインスタントコーヒーと、家族の笑い声にあります。これからも傲慢にならず、身の丈に合った幸せを噛み締めながら、一歩ずつ進んでいきたいと思います。

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