「パパ、一緒に走ろう」 taupoマラソン への娘の誘いから始まった50代の鉄人への道|ガビーン!を元気玉に変えて

ニュージーランド アイアンマン

先週末、私はタウポで人生初のフルマラソンを走り終えました。記録は4時間10分。サブフォー(4時間切り)には届きませんでしたが、初挑戦としては悪くない結果だったと思っています。

走り終えた今、まだ記憶が熱いうちに書き残しておきたいことがあります。それは、今回のフルマラソンだけではありません。私が「走る」ということに向き合うようになった、その始まりの物語です。

今、家にはまだ妻と私と三女の3人がいます。三女はニュージーランドの高校3年生。来年2月ごろには大学へ向かい、この4ベッドルームの家もきっと静かになるのでしょう。でも、今はまだここにいてくれる。だからこそ、この時間を大事にしたい。そして、彼女と一緒に走ったあの日のことを、今のうちにちゃんと言葉にしておきたいのです。

1. ディズニー、実家、そして「クソ度胸」が生んだ大失敗

私のマラソン挑戦の原点は、2018年に遡ります。毎年8月の初めにここタウポで開催されるマラソン大会。その年、私はもともと「10キロ」にエントリーしていました。

ところがその時期、ちょうど1ヶ月のホリデーで日本に一時帰国していたのです。東京ディズニーランドで子供たちの笑顔に囲まれ、私の実家や妻の実家をハシゴして、美味しい日本食を囲んで笑い合う。そんな「練習」なんて言葉を完全に忘れて遊び倒した日々を過ごし、ニュージーランドに戻ったのは大会の数日前でした。

受付へ向かった際、スタッフがこう言いました。
「今からでもカテゴリーを変えられるけど、どうする?」

普通なら、練習不足を自覚して10キロのまま走るでしょう。でも私はそこで、
「そうか、じゃあハーフ(21キロ)お願いします」
と、ほとんど勢いで変えてしまったのです。

これがいわゆる、父親譲りの「クソ度胸」。結果は、もちろんボロボロでした。最初は良かったものの、途中から膝が火を吹くように痛み出し、最後はほとんど歩いてゴール。

当たり前ですよね。ディズニーで遊び、実家でご馳走を食べていた男が、いきなり21キロも走ったら体がおかしくなるのは当然です。でも、今振り返ると、あれが私の「スタート」でした。「準備が完璧にできてから」では遅いこともある。ここぞという時に大胆に飛び込む決断がなければ、人はずっと自分の殻の中に閉じこもってしまう。あの痛みこそが、私の新しい人生の扉を叩く音だったのです。

2. 「パパ、一緒に走ろうよ」――自由な鳥を、籠に閉じ込めないために

それからしばらくして、別のきっかけがやってきました。2年前、三女が私を誘ってくれたのです。「パパ、このタウポの大会でさ、ハーフマラソン一緒にやろうよ」。

私は即答しました。「当たり前じゃん。やろう。絶対負けないぞ」。子供からの誘いは別です。私は昔から、子供たちの誘いには絶対に“NO”と言わないと決めてきました。

三女は運動も好きですが、同時にとても感受性が強く、芸術の才能に溢れたアーティスティックな子です。もし彼女を、日本のような画一的な教育……自由奔放な鳥を小さな籠に閉じ込め、型にはめるようなシステムの中に置いていたら、彼女の素晴らしい想像力は潰されていたかもしれません。籠に閉じ込めて周りに適応するための芸を強制的に教えるのではなく、彼女が彼女らしく羽ばたける環境。このニュージーランドの広い空の下で彼女を育てられた幸運に感謝しながら、私は彼女の「伴走者」として再び走ることを決めました。

3. 「ガビーン!」の衝撃と、道ばたの元気玉

迎えた2年前のハーフマラソン。最初は快調でした。しかし、折り返し地点を過ぎ、タウポ空港の近くに差し掛かったあたりで、右膝に激しい痛みが走り始めました。サッカー仲間の警察官の友人に軽々と抜かれ、ついには2時間のペーサーも遠ざかっていく。そんな絶望の真っ只中、残り4キロ地点で衝撃の瞬間が訪れました。

なんと、一緒に走っていた娘の親友のお母さんに、背後からスッと抜かれたのです。頭の中で、昭和の漫画のような音が響きました。「ガビーン!」

「嘘だろ。同年代の女性に、このまま負けるわけにはいかない!」折れかけていた私の「負けず嫌い」に火がつきました。膝は痛い。でも、気持ちは負けていない。そこから私は、なりふり構わず必死に足を動かしました。

その時、不思議なことが起きたのです。沿道の人たちの「がんばれー!」「いいぞ!」という声援が、耳ではなく体の中に直接入り込んできました。まるでドラゴンボールの元気玉のように、世界中の人々のエネルギーが、私の指先、足の先に集まってくる感覚。

一人なら、間違いなく歩いていました。でも、誰かが見ていてくれる。誰かがエールを送ってくれる。それだけで、人は限界を超えて元気が出てくる。最後は必死のスプリントを決め、2時間4分でゴールしました。あの「ガビーン!」という敗北感と、あの「元気玉」の熱狂。娘の誘いに乗らなければ、私はこの熱い感情を知ることはありませんでした。

4. 骨で走り、鉄人としてハワイを目指す

その後の1週間は、階段の上り下りもできないほどの激痛に苦しみました。でも私は、そこで諦める代わりに研究を始めました。どうすれば膝を痛めずに、自然な形で走れるのか。そこで出会ったのが、筋肉で無理やり押すのではなく、自然な骨格の動きで進む「骨で走る」という感覚でした。

この発見が、私をアイアンマン(14時間30分完走)へと導き、今回のフルマラソン4時間10分へと繋がりました。走ることも、挑戦することも、結局は家族と切り離されたものではないのだと痛感しています。支えてくれる妻、誘ってくれる娘。家族という最強のチームのサポートがあるからこそ、私は「鉄人」への道を一歩ずつ進めているのです。

結び:50代の夢は、まだ始まったばかり

子育てのステージは、これから「見守り」のフェーズへと移っていきます。来年2月、三女が家を出れば、家は静かになるでしょう。でも、それは寂しい終わりではなく、新しい冒険の始まりです。

今回のフルマラソンで感じた悔しさ。その火は、次の挑戦へのエネルギーになります。そして、これはまだ誰にも大きな声では言っていませんが、私には密かな、そして壮大な夢があります。

いつか、ハワイのアイアンマン世界選手権(KONA)に出場すること。

50代。まだ遅くない。むしろ、ここからです。娘に誘われて走り出したあの日のように、これからも「クソ度胸」を武器に、新しい景色を見に行こうと思います。私の鉄人への道は、まだ始まったばかりです。

マラソンの後のビール

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