ありがとう、ニュージーランド。異国で紡いだ26年と、これからも続いていく子育ての話
26年前、私たちは新婚旅行でニュージーランドに来ました。
そしてこの国に恋をして、そのまま住み続けることになりました。
今振り返ると、本当に不思議なご縁です。
まさか新婚旅行で訪れた国が、自分たちの人生の舞台になるなんて、その時は思ってもいませんでした。
そしてこの国で、私たちは3人の素晴らしい娘に恵まれました。
本当にラッキーな26年間だったと思います。
子育ても、ひとまず一区切り
一番下の娘は今、高校3年生です。
来年から大学へ進学する予定なので、そうなるとこの家には子どもたちが1人もいなくなります。
そう考えると、子育てもひとまず一区切りなのかなと思います。
昔は毎日のように学校の送り迎えをしていました。
もっと昔は、おむつを替えて、夜泣きに付き合って、食事を作って、寝かしつけて。
本当に子ども中心の生活でした。
それが今では、そういった「手を貸す子育て」はほとんど必要なくなりました。
少し寂しい気もします。
でも同時に、よくここまで来たなあという気持ちもあります。
忙しい26年間でした。
だけど、本当に楽しかった。
大変なこともたくさんありましたが、それ以上に喜びの方がずっと大きかったです。
でも、子育ては終わらない
とはいえ、子育ては終わりませんよね。
形が変わるだけで、親であることは一生続くのだと思います。
私自身、今でも両親が元気でいてくれることに、どれだけ支えられているかわかりません。
ただ元気でいてくれる。
それだけで、心のどこかに大きな安心感があります。
娘たちが将来、私くらいの年齢になった時に、
「ああ、両親が元気でいてくれるのはありがたいな」
「実家があるっていいな」
そう思ってもらえるような存在でありたいと思います。
これからの子育ては、今までのように前に立って導くのではなく、
少し後ろから、あるいは少し離れたところから、静かに見守るようなフェーズに入っていくのだと思います。
髪を振り乱して必死に子育てしていた時代から、
これからは**「静かな応援団」**のような立場に変わっていくのかもしれません。
子ども中心だったからこそ、今がある
今までの人生では、新しいチャンスや機会があったとしても、まず最初に考えるのはいつも子どもたちのことでした。
もし今引っ越したら、子どもたちの学校はどうなるだろう。
友達と離れ離れになってしまうのではないか。
思春期の多感な時期に、大きな環境の変化を与えることが、本当にこの子たちのためになるのだろうか。
そんなふうに考えて、断ってきた機会もあったと思います。
でも、それを後悔しているわけではまったくありません。
むしろ、子どもたちのためにそうしてきたからこそ、今の私たちの暮らしがあります。
この土地にしっかり根を張って、友人もできました。
仕事でも経験を積み、少しずつ責任ある立場にもなっていきました。
日本では「ここ10年給料が上がっていない」「ボーナスもしばらく出ていない」そんな話を耳にすることがあります。
失われた30年という言葉も、本当にその通りだなと思うことがあります。
そんな中で、私たちは本当にラッキーでした。
日本を離れ、このニュージーランドで、子育てに没頭できる環境の中で生きてこられたこと。
毎年少しずつでも給料が上がり、家族を養いながら、子どもたちの成長を見守れたこと。
それは本当にありがたいことでした。
すべては、妻の「うん」から始まった
でも、この人生は、私一人では絶対に実現できませんでした。
すべての始まりは、26年前、妻が私のわがままのような提案を受け入れてくれたことにあります。
結婚前、私たちは東京で新しい生活を始める予定でした。
彼女もきっと、結婚したら落ち着いて、二人で家庭を築いていく未来を思い描いていたと思います。
そんな時、私は真剣な顔で彼女にこう言いました。
「結婚したら、すぐにニュージーランドに1年行きたいと思ってるんだけど、どう?」
今思えば、かなり勝手な話です。
彼女は本当に驚いていました。
目には涙も浮かんでいたように思います。
その時、私はこう言いました。
「来年の1年を、俺にくれないか。その代わり、残りの俺の人生の時間は全部あげるから」
我ながら、よくそんなことを言えたものだと思います。
でも、その時の私は本気でした。
彼女は少し考えたあと、最終的に了解してくれました。
「1年だけよね」
そんな目で私を見ていたことを、今でもよく覚えています。
そこから始まったニュージーランド生活。
最初は本当に1年だけの予定でした。
でも、10か月ほど経った頃、働いていた職場のボスから
「ワークビザを出すから、もう少しいないか」
というオファーをいただきました。
英語にも少しずつ慣れてきて、現地の友人もできて、ニュージーランドでの生活が楽しくなってきた頃でした。
その話を妻にすると、彼女も
「そうね、もう少しぐらいいてもいいかもしれないわね」
と言ってくれました。
そこからワークビザ、永住権申請、日本との往復、資格取得……。
いろいろなことがありましたが、何とか長女が生まれる前に永住権を取ることができました。
そして2004年、長女が生まれました。
あの時もし、1年で日本に帰っていたら、私たちの人生はどうなっていたんでしょうね。
今の日本の状況を見ていると、3人どころか、もしかしたら1人の子育てさえ大変だったかもしれません。
人生って、本当にわからないものです。
でも一つだけ確かなのは、**「あの時ニュージーランドに来て良かったね」**ということを、私たち夫婦は今でも心からそう思っているということです。
妻へ、改めてありがとう
時々、妻は言ってくれます。
「26年前に私に聞いてくれてありがとうね。あの時は嫌だったけど、でも来てみて本当に良かったわ」
その言葉を聞くたびに、私は逆に彼女に感謝したくなります。
ありがとうと言いたいのは、私の方です。
私は仕事をしてきました。
子育てもそれなりにやってきたつもりです。
でも、家のことはほとんど彼女に任せきりでした。
いつもきれいに整った家。
毎日の手作りの食事。
子どもたちに安心を与える生活のリズム。
それは決して当たり前のことではありません。
考えてみると、うちの妻はレトルト食品にほとんど頼ってこなかったように思います。
毎日毎日、キッチンに立って、家族のために食事を作ってくれました。
少し多めに作って次の日のお弁当に回す工夫はしていたとしても、基本的にはいつも最初から、心を込めて作ってくれていました。
子どもたちはそれを「普通のこと」だと思って育ったかもしれません。
でも、家を出てフラット生活を始めた今、あたたかくておいしいご飯が自然に出てくることが、どれだけ幸せなことだったか、きっと身に染みてわかっていると思います。
実際、ホリデーで帰ってくるたびに、娘たちは口を揃えてそう言ってくれます。
それって、本当に嬉しいことですよね。
そして、そうやって「ありがとう」を口にできる子どもたちに育ってくれたことも、私はとても誇らしく思っています。
親しき仲にも礼儀あり。
そんな日本の価値観を、海外に住んでいるからこそ、なおさら大切に感じます。
言葉も文化も近い日本人の妻だったからこそ、私はここまでやってこられたのだと思います。
子育てという長い戦いを、同じ方向を向いて一緒に戦ってくれた戦友であり、
娘たちにとっては、強くて優しくて、温かい、最高の母親でした。
娘たちが、女性としての素晴らしさを身近で学ぶことができたのは、間違いなく彼女のおかげです。
本当にありがとう。
このブログは、娘たちへのメッセージ
このブログは、私たちから娘たちへの、一生続くラブレター――
と言うと、少し大げさかもしれません。
でも、少なくとも**「メッセージ」**ではあります。
更新の頻度は、これからはゆっくりになると思います。
毎回大作を書くわけではないかもしれません。
でも、一つひとつの記事に、
ニュージーランドで3人の娘を育てた経験と、
その時その時の気持ちを込めて、
心を込めて綴っていきたいと思っています。
いつか娘たちがこのブログを読んだ時に、
「ああ、パパはこんなことを思っていたんだな」
「こんな気持ちで私たちを見守ってくれていたんだな」
そう感じてもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。
そしてもし、このブログが、これから家族を築いていく若い人たちや、子育てに奮闘しているご家族の、ほんの少しでも参考になれば、それもまたとても嬉しいことです。
ありがとう、ニュージーランド。そして、これからも
ありがとう、ニュージーランド。
私たち夫婦を受け入れてくれて。
3人の娘たちを、この大きな空の下でのびのび育てさせてくれて。
ありがとう、私の家族。
ありがとう、私の妻。
ありがとう、娘たち。
子育ては、終わりません。
形を変えながら、これからも続いていきます。
だからこのブログも、終わりません。
これからも、ゆっくりと、でも丁寧に続けていきます。
どうか、あたたかく見守っていただけたら嬉しいです。

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