30代後半、クライストチャーチの超高級レストランで心が折れた私へ。——50代の今、あの日の「挫折」に心から感謝していること
「30%の力で仕事をして、70%の余白を残しなさい」
もし、15年前のボロボロだった自分に一つだけアドバイスができるなら、私は迷わずこの言葉を贈るだろう。人生はスプリント(短距離走)ではない。長く、長く続くマラソンだ。全力疾走のままでは、ゴールに辿り着く前に人生そのものを「棄権」することになりかねない。
50代になり、「娘への愛情オリンピックがあれば間違いなく金メダリストだ」と公言できる今の私があるのは、30代後半、あの地獄のような日々の中で一度立ち止まる勇気を持てたからだ。
完璧を求められ、自分を見失った「30代後半」
今から15年前。三女が生まれたばかりで、父親として、男として、最も「稼ぎ、成長しなければならない」という責任感に燃えていた時期だ。
私はある超高級レストランに新天地を求めた。そこは、一分の隙も許されない、完璧なプロフェッショナルだけが生き残れる世界。周囲の期待は凄まじく、私もそれに応えようと、自分のキャパシティを遥かに超えた120%の力で、毎日を駆け抜けていた。
本来の私は、自分の仕事に目処が立てば、忙しそうな仲間に「何か手伝えることはあるか?」と声をかける余裕とプライドを持っていた。
しかし、その時の私には、隣で困っている仲間に差し出す手など、1ミリも残っていなかった。自分の担当をこなすだけで精一杯。心は常にささくれ立ち、かつて持っていたはずの「優しさ」が、指の間から砂のようにこぼれ落ちていく。自分がどんどん「嫌な人間」になっていくのが分かった。他人を思いやる気持ちを失い、人間としての根っこが、音を立てて枯れ始めていた。
家族を守るために、家族を傷つける矛盾
最悪なことに、その「心の毒」は家の中にまで持ち込まれた。家族を養うために、家族を幸せにするために必死に働いているはずなのに、いざ帰宅して向き合う家族に対して、優しい言葉ひとつかけられない。
ピリピリとした職場の殺気立った空気を纏ったままの私は、三女の泣き声や、妻の何気ない相談さえも、「自分の休息を邪魔するノイズ」のように感じてしまうことさえあった。
「私は一体、何のために、誰のために戦っているんだろうか」
キャリアを積めば積むほど、私の人生の本質である「家族との時間」が荒んでいく。心がボロボロになり、このまま走り続けたら、自分自身が地球上から消えてしまう。そう直感した私は、逃げるように、その超高級レストランを去った。30代後半、働き盛りの男としては「挫折」と言ってもいい幕引きだった。
命を繋ぎ止めた「精神的元気玉」
職場を去り、ようやく手に入れたのは、何にも縛られない、他愛もない家族との時間だった。
そこには、レストランのような怒号も、張り詰めた緊張感も、誰かを裁くような鋭い視線もない。ただただ、柔らかくて温かい、家族の空気が流れていた。三女の柔らかな体温。娘たちの他愛もないお喋り。妻が淹れてくれたお茶の湯気。
その、なんてことのない「柔らかい時間」が、私の身体中に染み渡っていった。それは、空っぽになった私の心に、家族みんなが少しずつエネルギーを分けてくれる「精神的元気玉」のようだった。
「ああ、私はこの空気を守るために生きていたんだ。この空気こそが、私の命の源だったんだ」
もしあの時、意地を張ってあの場所に留まり続けていたら、今の私は存在していなかったかもしれない。それほどまでに、家族が作る「何の変哲もない時間」には、一人の人間を根本から再生させる凄まじい力があった。
50代になった私から、戦い続けるあなたへ
あの「挫折」から15年。今の私は確信を持って言える。
「正しい親」であること以上に、「幸せな親」であること。
親が自分自身の人生を謳歌し、70%の余白を持って、笑顔で家族と向き合う。それこそが、子供にとっての最大の安心感であり、親が子供に贈れる最高のギフトなのだ。
30代のあの日、ボロボロになりながらも「自分の人生(=家族)」を天秤にかけ、逃げる勇気を持った自分を、今の私は心から褒めてやりたい。あの決断があったからこそ、今の私は娘たちに惜しみない愛を注ぎ、娘たちからも愛される「金メダリスト」になれたのだから。
もし今、あなたが仕事や責任感に押しつぶされ、大切な人に優しくなれない自分を責めているのなら、一度立ち止まってほしい。
その仕事は、あなたの「笑顔」を奪い、家族の「柔らかい空気」を壊してまで続ける価値があるだろうか。
人生という長いマラソンを、完走するために。
30%の力で、軽やかに働こう。
残りの70%は、あなたの大切な人を抱きしめ、あなた自身が幸せを感じるための「余白」として取っておくために。

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