「伴走者」から「灯台」へ。 タウポの4つの部屋が静かになる日、26年目のバトンタッチ

ニュージーランド メッセージ

来年2月、三女がこの家を旅立ちます。長女と次女がすでに自分の人生を歩み始めたあとの子供部屋を眺めると、ふとした瞬間に、かつての賑やかな笑い声や、慌ただしい足音が聞こえてくるような気がします。

今の私の心境を言葉にするなら、もしかしたら「人生の最期に思い描く情景」を今、一足先に見ているような、そんな不思議な感覚です。26年にわたる私の「育児という名の大事業」が、今まさに一つの大きな節目を迎えようとしています。

1. 脳天、五臓六腑、そしてオーラまで満たされたあの日

思えば2012年、タウポでこの4ベッドルームの家を手に入れたあの日。鍵を開け、娘たちが自分の部屋へ走り込んでいく姿を見た瞬間のことを、私は一生忘れないでしょう。

「パパ見て、湖が見えるよ!」

あの時の喜びは、言葉では到底足りません。脳天から、髪の毛の一本一本の末端まで。五臓六腑のすべてから足の爪先まで。いや、自分の体から溢れ出るオーラまでもが、透き通った至福で満たされていくような感覚でした。「これでいい。俺はやり遂げたんだ」。

2000年から始まった、ニュージーランドでの長く険しい「家族の居場所探し」。クライストチャーチでのボロ家生活、タウポへ移住してからの慎ましい2年間。そのすべてが、この瞬間のためにあったのだと確信した、魂の震える瞬間でした。

2. ダイニングテーブル――「99点の伸び代」を愛でる場所

我が家の自慢は、子供部屋に勉強机がないことです。娘たちはいつも、ダイニングテーブルで勉強をしてきました。かつて読んだ本に、「勉強中心の生活にすると、子供は『勉強さえしていれば何でも許される』と増長する」とありました。私はその教えを大切にしました。勉強ができることは素晴らしい。けれど、それは家族の中で特権階級になることではないのです。

高得点を取った時、「あと少しで100点だったのに」と悔しがる娘に、私はいつも言いました。
「いいじゃん! まだ伸び代があるってことだよ。ここで100点を取っちゃったら、もうそれ以上成長できないだろ? 次の楽しみを繋げようぜ」

大切なのは結果というボーナスではなく、そこに至る「努力の過程」です。狭いテーブルをどう分け合い、誰かが勉強を始めたら、自然に他の誰かが片付けを手伝う。その「シェア(分かち合い)」と「責任」を、彼女たちはこのテーブルで学びました。テレビを消して散歩へ出る私と妻の背中を見ながら、彼女たちは自分の人生を自分で切り拓くための、一生ものの自律心を養ったのです。

3. 三女との衝突――「一人の人間」としての尊敬

高校3年生の最後を過ごす三女は、誰よりも個性的で、自分のスタイルを持った女の子です。先日、サッカーチームのキャプテンである彼女が、運営側の事情で「最後の大会に行けない」という現実に直面していたとき、私は感情的に口を出してしまいました。彼女の悔しさを想像しきれず、大人の正論をぶつけてしまったのです。

「パパは私の話を最後まで聞かない!」

そう怒って部屋へ戻った彼女の背中を見ながら、私は深く反省しました。彼女はもう、守られるべき子供ではなく、一人の「自律した人間」として、悔しさや責任と向き合っていた。親にさえ毅然と自分の意志を伝える彼女を見て、私は「たいしたもんだ」と、密かに親馬鹿な喜びを感じていました。あまのじゃくでクリエイティブなその強さは、どこか私に似ているのです。

結び:伴走者から「灯台」へ、26年目のバトンタッチ

2000年、不安の中でボロ家に住んでいた若き自分たちに、今の私は伝えます。
「自分たちで決めて、お互いを尊敬し合い、突き進んだその決断。それこそが、君たちの人生のベストアンサーだ」。

第一章「子育て・伴走編」は、間もなく幕を閉じます。私はこれまで、妻という最高のパートナーと共に、子供たちの横を走り、転びそうになれば手を差し伸べる「伴走者(バンソウシャ)」でした。

しかし、これからは役割が変わります。これからは、彼女たちが迷った時に遠くから光を照らし、荒天の時にはいつでも温かく迎え入れる「灯台(トウダイ)」になる。それが、父としての私の新しい仕事です。家族とは、人生という荒波を戦い抜くための「基地」でなければならない。かつて私を信じて送り出してくれた、私の両親がそうであったように。

娘たちがいつでも誇りを持って帰ってこられる「基地」を守るため。私はこれからもこの家をメンテナンスし、一人の男として、一生現役で、人生を全力で楽しむ後ろ姿を見せ続けます。さあ、今日もアイアンマンのトレーニングへ向かうとしましょう。

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