50代はもう遅い?人生の勝ち方を変える「熟成」という強さ

タウポ湖の朝、湖を見つめる40代から50代の男性の後ろ姿。頑張りすぎない働き方と30/70の法則をイメージした写真 ニュージーランド メッセージ
タウポ湖の静かな朝。頑張りすぎず余白を残して動く「30/70の法則」をイメージした1枚です。

50代 挑戦って、世間では「もう遅い」と思われがちかもしれません。

でも僕は、むしろここからだと思っています。

最近、あらためて思うんですよね。
「ああ、やっぱり昔みたいな無理は効かないなあ」って。

仕事している最中は集中しているので、けっこういけるんです。

でも仕事が終わった瞬間に、急に力が抜ける。

ほんと、風船の空気が抜けるみたいに、プシュッと。

だから帰る前に、5分とか10分とか、ちょっと一呼吸置きたくなる時があります。
若い頃は、そのまま次へ次へと行けた気がするんですけどね。

でも、これをただの「衰え」と思うのは、ちょっともったいない気がしています。

50代は、もう終わりの季節じゃない。
人生の勝ち方を変える季節なんじゃないかなと思うんです。

若い頃は、全力こそ正義だと思っていました

若い頃の僕は、何でも全力でした。

仕事も遊びも、やるなら本気。
「仕事なんだから、ちゃんとやるのが当たり前でしょ」
そんな感じだったと思います。

もちろん、それはそれで悪くなかったんです。
でも今思うと、ちょっと力みすぎていたかもしれません。

自分が正しいと思いすぎると、相手の事情が見えなくなることがあります。

相手も機械じゃないんですよね。
機嫌が悪い日もある。
疲れている日もある。
家で何かあった日だってある。

そういうことを少し汲めるようになるのが、年を重ねるということなのかなと思います。

僕はこれを、熟成と呼びたいんです。

なんかワインみたいで、ちょっとかっこいいじゃないですか。
まあ、自分が本当にそこまで熟成されているかは、妻に聞かないとわかりませんけど。

50代には50代のペース配分がある

僕の中には、いつも30/70の法則があります。

何でも100%出し切るんじゃなくて、少し余裕を残しておく。
仕事でも、家庭でも、トレーニングでも、それは同じです。

50代になると、全部全力はなかなか危ないです。

その日は乗り切れても、次の日にちゃんと請求書が来ます。
しかも即日発行です。
待ってくれません。

最近も走った次の日に、身体が重いなあと感じました。
たぶん気持ちが先に行って、ちょっとやりすぎたんでしょうね。

若い頃なら、
「気合いが足りない」
で終わっていたかもしれません。

でも今は、そこをちゃんと感じることのほうが大事なんだと思います。

頑張るのは大事です。
でも、潰れるまでやるのは違う。

この違いが、50代ではかなり大きい気がしています。

アイアンマンで学んだのは、根性よりも“余裕”でした

僕は50代になってからアイアンマンに挑戦しました。

スイム3.8キロ。
バイク180キロ。
そのあとフルマラソン。

いや、冷静に考えたら、なかなかです。
考えた人、ちょっとおかしいですよね。
もちろん、褒め言葉ですけど。

そんなレースだからこそ、僕はなるべく心の余裕をなくしたくありませんでした。

沿道にはボランティアの人たちがいます。
水を渡してくれたり、果物をくれたり、声をかけてくれたりする。

あれ、本当に力になるんですよ。

ドラゴンボールでいう元気玉みたいなものです。
応援って、たぶん科学でまだ証明しきれていないだけで、絶対に何か飛んでいます。
僕はそう思っています。

だから僕は、しんどくてもなるべく反応するようにしていました。

手を上げる。
サムズアップする。
声が出る時は「ありがとう」と言う。

レースって、自分ひとりで頑張っているようで、ぜんぜんひとりじゃないんですよね。

苦しい時ほど、ちょっと笑える大人でいたい

レース中には、ものすごい形相で走っている人もいます。

前だけを見て、苦しさを全部顔に出して、まさに真剣勝負。
それもひとつのやり方だと思います。

でも僕は、できればそこまで鬼の形相にはなりたくないんです。

閻魔様みたいな顔で水を受け取るのも、なんか違う気がして。

どうせ大変なことをやるなら、少しは楽しみたい。
苦しい時ほど、人としての余裕をなくしたくない。

それが自分のやり方なんだと思います。

夕方になると、沿道でビールやワインを飲みながら応援している人たちもいるんですよ。
ニュージーランドらしくて、いいですよね。

僕もつい、
「あと2周したら帰ってくるから、ビール残しといてね!」
なんて声をかけたりします。

そうすると向こうも、
「もちろんだ!冷やして待ってるぞ!」
みたいに返してくれる。

そういうやり取りひとつで、また元気が出るんです。

記録だけじゃない。
そういう時間も含めて、挑戦なんだと思います。

タウポの自然は、気持ちを整えてくれる

僕が住んでいるニュージーランドのタウポは、本当にいいところです。

湖が大きくて、水がきれいで、空も広い。

ああいう景色を見ていると、仕事であった細かいストレスとか、人間関係のちょっとしたゴチャゴチャとか、なんだか小さく思えてくるんですよね。

もちろん、その時はその時でしんどいんです。

でも自然の中に行くと、少し流れていく感じがあります。
タウポの湖の水と一緒に、心の中のモヤモヤまで流れていくような感覚です。

僕は何度もそれに助けられてきました。

子どもたちも、休みになるとデバイスばかりではなく、姉妹で湖に行ったりします。
そういう姿を見ると、
「ああ、ここで子育てできてよかったな」
と思います。

自然って、急がないんですよね。
ただそこにあって、長い時間をかけて景色を作っている。

それって、熟成に少し似ている気がします。

50代は「もう遅い」じゃなくて、「まだいける」

日本の同世代の父親たちと話していると、

「もう若くないし」
「定年も見えてきたし」
「子どもにお金がかかるし」
「今さら新しいことなんて」

そんな声を聞くことがあります。

うん、わかります。
すごくわかるんです。

でも、それで自分の可能性まで閉じてしまうのは、やっぱりもったいない。

50代は、たしかに若くはないです。
でも、遅すぎるわけでもありません。

無茶はできない。
でも、工夫はできる。

勢いだけでは行けない。
でも、経験があります。

僕自身、50を過ぎてからハーフマラソン、ハーフアイアンマン、そしてフルアイアンマンに挑戦してきました。

仕事が忙しくて、練習時間がたっぷりあったわけでもありません。
それでも、できました。

だから思うんです。

忙しいというのは、やらない理由にはなりやすい。
でも、やれない理由とはちょっと違うなって。

50代の魅力は、若さじゃなくて深みです

50代は、若い頃に戻る年齢じゃないんだと思います。

そこを目指すと、たぶんちょっと苦しい。

そうじゃなくて、
50代には50代の勝ち方がある。

疲れる。
でも、自分の扱い方がわかってくる。

勢いは落ちる。
でも、感謝は深くなる。

何でもはできない。
でも、本当に大事なものは見えやすくなる。

それって、悪くないどころか、かなりいいことなんじゃないでしょうか。

まとめ:50代からの挑戦は、やっぱりかっこいい

最後に、これだけは言いたいんです。

50代で何かに挑戦している人って、僕はやっぱりかっこいいと思うんですよね。

若い人が頑張るのも、もちろん素晴らしいです。
でも、仕事も家庭もいろいろ背負って、しんどいことも現実もちゃんと知った上で、それでも前を向いている大人って、やっぱり強いです。

しかも、そういう50代の姿って、たぶん若い人たちもちゃんと見ていると思うんです。

「こういう大人になりたいな」
「50代でもこんなふうに挑戦できるんだ」
「だったら自分も、もっと挑戦できるかもしれない」

そう思ってもらえるかもしれない。

それって、すごく大事なことじゃないですか。

今って、若い人たちが夢を持ちにくい時代なのかもしれません。
先が見えにくいし、頑張った先に何があるのかもわかりにくい。

だからこそ僕たち大人が、言葉で偉そうに語るよりも、まず自分の背中で見せることが大事なんじゃないかなと思うんです。

完璧じゃなくていい。
かっこつけすぎなくていい。

でも、50代でもまだ挑戦できる。
まだ成長できる。
まだ人生を楽しめる。

そういう姿を見せること自体が、次の世代への希望になる気がしています。

そして、そういう大人が増えたら、世の中ってきっと今より少し良くなると思うんですよね。

自分のことだけじゃなく、子どもの世代、その先の孫の世代、さらにその先の未来まで考えられる大人が増えていったら、社会の空気も変わるはずです。

僕は、自分たちの子どもたち、そのまた次の世代に、

「この地球で生きるって、悪くないな」
「大人になるって、ちょっと楽しみだな」

そう思えるものを手渡していきたいんです。

大きなことはできないかもしれません。
でも、自分の今日の生き方なら選べます。

ちょっと余裕を持つこと。
誰かに優しくすること。
あきらめずに何かに挑戦すること。

そういう小さな積み重ねが、未来を作っていくんじゃないかなと思っています。

だからやっぱり、50代は終わりじゃない。
むしろここからです。

若さとは違う強さで。
勢いとは違う深さで。
次の世代に希望を渡せるような、そんな熟成した大人でいたいと思っています。

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