挑戦する父親でいることは、家族へのメッセージになる
50代を過ぎた今、よく思うことがあります。
人生って、長いようで短いし、短いようで長いなぁと。
マラソンみたいでもあるし、スプリントみたいでもある。
山登りのような気もするし、ハイキングのような気もする。
初めて訪れた土地を、あてもなく散歩しているような感じがするときもあります。
いろんな形があるけれど、ひとつ言えるのは、
その過程を楽しんだほうがいいんじゃないかな
ということです。
若い頃にはつらかったことも、今になると笑い話になっていたりします。
もちろん、全部が全部そうなるわけじゃありません。
中には笑い話にしきれないことだってあります。
でも、事実は変わらないんですよね。
変わらない事実をずっと引きずっていても、苦しい気持ちが長引くだけなら、どこかで自分なりに区切りをつけて、
「まあ、あれも自分の人生の一部だったな」
と受け止めたほうが、次に進みやすい気がします。
だったら、少しでも自分にとって良い形で受け取って、また次のステージに進んでいけばいい。
私はそんなふうに思っています。
今日は、そんな人生のことと、その中で父親が挑戦し続ける姿には意味があるんじゃないかということを、少し書いてみたいと思います。
いつまでも挑戦する姿でいたい
私が「挑戦する父親でいたい」と思うのは、たぶん、いつまでも輝いていたいからなんだと思います。
ありがたいことに、私はよく実年齢より若く見られます。
今はニュージーランドに住んでいるのですが、こちらではアジア系は若く見られやすいところもあるのかもしれません。
でも、それだけじゃない気もしています。
髪の毛に白髪が少ないとか、そういうのもあるかもしれませんが(笑)、普段から若い人たちと一緒に過ごしているのも大きいのかなと思います。
今の職場では、私が最年長です。
その下は40代、30代、20代、そして10代の子もいます。
10代の子なんて、もう自分の子どもと同じような感覚です。
そんな環境にいると、自然と自分も刺激を受けます。
「まだまだいけるな」
「年齢を言い訳にしている場合じゃないな」
そんなことを思わされます。
やっぱり、いつまでも挑戦している姿っていいと思うんです。
80代の挑戦者に、鳥肌が立った日
私がアイアンマンに挑戦するきっかけのひとつになった出来事があります。
数年前、この町でハーフアイアンマンの大会が開かれたときのことです。
その大会に、80歳を超えた方が出ていたんです。
その姿を見たとき、私は本当に鳥肌が立ちました。
しかも真冬じゃないんですよ。
ニュージーランドの12月、夏の始まりの暑い時期です。
日本でいえば6月の初めくらいの感覚でしょうか。
暑い中で、80代の方がハーフアイアンマンに挑戦している。
その姿を見て、私は心の底から思いました。
「あの人ができるのに、なんで俺ができないんだよ」
もう、言い訳できないですよね。
年齢のせいにもできない。
そこで火がつきました。
その半年後くらいに誘われてハーフアイアンマンに出て、さらにその後、自分でもハーフアイアンマンに挑戦して、その翌年にはアイアンマンまでやってしまいました。
50代を超えてからです。
自分で言うのもなんですが、ちょっとすごくないですか(笑)。
でも何より、やっている本人が本当に楽しかったんです。
練習はもちろん大変でした。
しんどいこともいっぱいありました。
それでも、あの挑戦は自分の中でとても大きなものになりました。
自慢したいわけではないのですが、
「自分はやればできるんだ」
という自信には確実につながりました。
だからこそ、読んでくださっている方にも、何かひとつでもそういう経験をしてほしいなと思うんです。
結果はボーナス。大事なのは、その過程で何を得るか
私は、挑戦するときに結果だけを追いすぎないようにしています。
もちろん、結果が出たらうれしいです。
料理のコンクールでメダルをもらったときは、やっぱりうれしかったです。
でも、今振り返ると、いちばん大きかったのは結果そのものではありません。
そこに至るまでに、
- 計画を立てること
- 練習すること
- リサーチすること
- 考えること
- 修正すること
- 人に聞くこと
そういう過程の全部が、自分を成長させてくれていたんですよね。
最初にコンクールへ出たときなんて、本当にひどいものでした。
自信だけはあったんですが、結果は散々。
ルールもよくわからず、まるで丸腰で戦場に出ていくようなものでした。
でも、そこでぼろくそにやられたからこそ、火がついたんです。
「次は絶対に見返してやる」
そんな反骨精神が、自分を育ててくれたんだと思います。
私はもともと、人に助けを求めるのがあまり得意ではありません。
でも、挑戦を通して、ひとりでは限界があることも学びました。
先輩にアドバイスをもらうことの大切さも知りました。
だから今は、結果はボーナスみたいなものだと思っています。
本当に大切なのは、その挑戦の過程で自分が何を学び、どう成長するか。
そこに価値があると思っています。
言葉より、行動で伝えたい
娘たちに何かを伝えたいと思ったとき、私はやっぱり言葉だけでは足りないと思うんです。
英語で “Lead by example” という言い方があります。
率先して行動で示す、という意味です。
私はこの考え方が好きです。
世の中には、口では立派なことを言うけれど、自分ではやらない人がいます。
正直、私はあれがあまり好きではありません。
若い頃、職場にもそういう先輩がいました。
いろいろ言われながら、心の中では
「いやいや、先輩、それ本当に自分でできますか?」
なんて思っていたものです。
もちろん口には出しませんでしたけど、その代わり、言われた仕事をその人より早く、きれいにやってやろうという反骨精神はありました。
そういう気持ちが、自分を鍛えてくれた気がします。
今は私もキッチンでマネージャーのような立場になりました。
だからこそ、自分ができないことは人に求めないようにしています。
まず説明する。
必要なら見せる。
そしてやってもらう。
失敗しても、そこから学べばいい。
これって、子育てにもすごく似ている気がします。
言葉で「頑張りなさい」と言うより、自分が頑張る姿を見せる。
言葉で「挑戦しなさい」と言うより、自分が挑戦している姿を見せる。
そのほうが、きっと伝わるんじゃないかなと思っています。
妻のひと言が、私の人生を動かした
振り返ると、私の挑戦はいつも家族に支えられてきました。
特に大きかったのは、妻の存在です。
40歳になる前、クライストチャーチに住んでいた頃、ヘッドハンティングのような形でタウポに来る話がありました。
でもそのときの私は、少し弱気でした。
「これは自分には荷が重いかな」
そんなふうに思っていたんです。
そのとき妻が言ってくれたのが、
「これがあなたの人生で最後の大きなチャンスかもしれないよ。だったら挑戦してみたら?」
という言葉でした。
あのひと言がなければ、私は動けていなかったかもしれません。
そしてあの挑戦がなければ、その後のたくさんの出会いや学びもなかったように思います。
その職場では、ミシュラン二つ星の経験を持つシェフのもとで働く機会がありました。
技術だけでなく、仕事への向き合い方やマネジメントも間近で学ぶことができました。
やっぱり、挑戦しないと見えない景色があります。
少し自分の器の外に出て、揉まれて、鍛えられて、人は成長するんだと思います。
そして、その背中を押してくれる人が家族の中にいる。
これは本当にありがたいことです。
娘たちに残したいのは、「生きていく力」
娘たちに残したいものは何だろう。
そう考えたとき、私は肩書きでもお金でもなく、生きていく力なんじゃないかと思います。
私はよく、人生を大海原にたとえて考えます。
穏やかな日もあれば、荒波の日もある。
風が追い風になる日もあれば、向かい風の日もある。
そんな中で、自分の船の舵を自分で取って、自分で進む方向を決めて、しっかり前に進んでいける人になってほしい。
私たち親は、いつまでも元気でいられるわけではありません。
いつかは人生の幕を閉じる日がきます。
そのときに、娘たちが慌てなくていいように。
私たちがいなくても、自分の人生を切り開いていけるように。
そしてできれば、自分の人生を楽しみながら、世の中を少しでも良くできるような人になってくれたら、親としてこんなにうれしいことはありません。
そのためには、やっぱり挑戦することが大切だと思うんです。
失敗してもいい。
うまくいかなくてもいい。
でも、そこからまた立ち上がればいい。
同じ失敗を繰り返さないように学べば、次に似たような困難が来たとき、きっと乗り越える力になります。
だから私は、娘たちに背中でこう伝えたいんです。
何歳になっても学んでいい。
何にでも興味を持っていい。
失敗しても、またやればいい。
完璧な父親ではないけれど
正直に言うと、私は自分のことを「いい父親だなぁ」とはあまり思っていません。
どちらかといえば、ちょっと口うるさい父親だったかもしれません。
言葉遣いが悪ければ注意するし、親への態度が気になれば、それも言う。
今の時代には少し古いと言われるかもしれません。
でも私は、それでいいと思っています。
お互いを尊重することって、まず家庭の中から始まると思うからです。
家庭の中でできないことが、外の社会で急にできるようになるとは思えません。
人への礼儀や敬意というのは、毎日の暮らしの中で身につくものだと思います。
だから完璧な父親ではないけれど、これが自分なりの父親のやり方だったのかなと思っています。
家族はちゃんと見てくれている
私が何か新しいことを始めるたびに、娘たちは
「またパパ、何か始めたね」
みたいな反応をします。
ときには少し冷ややかな目で見ていることもあります(笑)。
でも、基本的にはいつも応援してくれています。
妻もそうです。
私が日本に一時帰国するたびに、チョコレートやクロワッサンなど新しい技術を学ぶためのコースに通うことがあります。
そういうプロ向けの講習って、正直けっこう高いんです。
それでも妻は、嫌な顔ひとつせず、
「楽しんで、いっぱい学んでおいで」
と送り出してくれます。
本当にありがたいです。
感謝してもしきれません。
少し古い言い方かもしれませんが、
男にさせてくれてありがとう
と言いたいくらいです。
……まあ、もともと男なんですけどね(笑)。
でも本当に、それくらい感謝しています。
挑戦する姿は、無言のメッセージになる
父親が挑戦している姿というのは、家族に対する無言のメッセージになるんじゃないかと思っています。
「頑張れ」と言うだけじゃなく、自分が頑張る。
「学びなさい」と言うだけじゃなく、自分が学ぶ。
「失敗しても大丈夫」と言うだけじゃなく、自分が失敗を恐れず進む。
その姿のほうが、ずっと伝わる気がするんです。
娘たちには、君たちは君たちのままでいいんだよ、と伝えたいです。
そのままで十分価値がある。
でもそこで止まらず、もっと良くなろうとする気持ちは持ち続けてほしい。
何にでも興味を持って、子どものような好奇心を持って、いつまでも光っていてほしい。
私自身も、そういう人間でありたいと思っています。
おわりに
人生には、楽しいことも、うれしいこともあります。
その一方で、つらいこと、大変なこと、思い通りにいかないこともあります。
でも、それをどう受け取るかは、ある意味で自分次第です。
だったら、少しでも自分にとって良い形で受け取って、前に進んでいきたい。
私はそう思っています。
50代に入った今でも、まだ挑戦の途中です。
不安がゼロなわけではありません。
うまくいかないことだってあります。
それでも、昨日より今日、今日より明日、少しでも豊かな自分でいたい。
そんな気持ちで、これからも進んでいこうと思います。
そして娘たちへ。
君たちは自分の人生の舵を、自分で取っていってください。
荒波の日もあるだろうし、穏やかな日もあるだろう。
でも、どんな日でも、自分の力で前へ進んでいける人になってほしい。
もしこの文章を読んでくださった方の中に、
「ちょっとやってみたいな」
と思っていることがあるなら、ぜひ小さな一歩からでも始めてみてください。
挑戦は、派手なものでなくてもいいんです。
その一歩が、自分自身を元気にして、もしかしたら大切な誰かへのメッセージにもなるかもしれません。

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